2006年05月15日

アンジェラ

久々に映画が見たくなった。大好きなリュックべッソン監督の作品“アンジェラ”を見てこよう!

高校生の時この監督の映画“レオン”を見た
今思えば、この時からもう一人で映画を見に出かけていた
私の祖父は明治生まれだったが、一人で映画館に週1、2回出かけていたハイカラ爺さんだった
私にもきっとそのDNAが濃くあるのだ
殺し屋と少女の純愛、悲しい物語に涙涙だった
バスに乗り込んだ帰り道、
それでも涙がとまらず泣いていたところ偶然クラスメートの男の子がそのバスに乗っていたらしく、
次の日に「あいつ男にふられたらしいぞ」と噂になった(笑)

“アンジェラ”
物語はいろんなコントラストの要素でできている
白と黒、男と女(小男と大女)、美しい容姿と醜い容姿、内面と外面etc
正直言ってこの映画ヒットしなかっただろうなぁと思った
監督が本当に作りたかった作品は、誰もが安易に理解できるものではない本質に重点があるからだ
本質って・・・
私もさっきからパソコンとにらめっこをしている
シンプルなことって説明がとても難しい
私の友人の言葉を借りると「“本質”とは、驚くほど感激したりびっくりしたりするような刺激の中にはない
それにふれた瞬間、内面からジワッと湧き出るような自分の中での喜びのようなもの」
リュックベッソンはきっと、人間の本質が見えてる人だなぁと感じた
映画の中にそのキーワードがいつくかあったからだ
大きな借金をゼロにした主人公にアンジェラはこう言う
「本当の窮地は今のこの時よ。あなたが抜け出そうとしてないこと」
自分の感覚が外に向けられてない主人公
“今”というこの瞬間を大切にできず、パリの美しい景色も何も目に入ってこない
「問題なのは自分自身に嘘をついているということ」
トイレで主人公を鏡の前に立たせる
目をそらさせず自分と正面から向き合わせるために
そして初めて自分を理解し大切に思えた主人公にアンジェラも本質を教えられる
もし・・・“レオン”を見た頃の私だったらこの映画の良さは理解できなかったと思う
全ては必然だと思うから、私がこの“アンジェラ”を見て感じることは今このタイミングだからなのだ
何ヶ月か前のある日、私と話をしていた友人が言った
「何か一つの本質が分かり始めたら、数珠つながりのようにつながってどんどん広がっていくんだよ
見え始めると止まらないんだ
あなたももうパンドラの箱を開けてしまったのだね」
帰り道、そんな話を思い出した

家に帰ってネットで“アンジェラ”について検索した
目に見えるものに心を奪われがちな人々
パリの街並みが美しく印象的だったというコメントに彼は
「私はパリを魅力的に見せたわけではないよ。カメラを備えてそこにあるものをそのまま撮っただけ」
観せるための映画ではなく、自分が取りたい映画・・・私にはそう感じた
 
今週末5月20日全世界同時公開の映画。次は“ダビンチコード”だ!!!

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