2008年03月30日

ネパールのお話 その1

バンコクで飛行機を乗り換えて着いた首都カトマンズ

第一印象・・・インドととてもよく似ている国
町の騒音、人ごみ、3分で目が痛くなる砂埃
しかし明らかに違うのはその国民性
インド人はとにかくよく怒ったし大人も子供も物乞いがひどかった
気性も荒く、それだけ死とはすぐ近く懸命に生きている感じがしたのだが
(カースト制度が厳しいので、もちろん裕福な人たちは違う)
ネパール人はとても穏やかで優しい人が多かった
私がホームステイした先のファミリーもとてもとても温かい人達だった
今回は、カトマンズから車で20分ぐらい離れたパトンという街に滞在
マンダラや仏像、金細工などの職人達が住む街
朝夕散歩にぶらぶらよく歩いたが、海外にありがちなしつこい物売りや詐欺師が全くいなかった
(私があまりにも貧素な風貌だったので単に寄ってこなかっただけかもしれないが・・・)
私は日本にいるのと変わらないくらい何の違和感もなく不自由もなく過ごした
初めて来た気がしない空気
今思い出してもあの場所へ帰りたくなるような不思議な衝動に駆られる

不自由と言えば、日本と違う点
その1
ネパールは電力が不足しているため、一日のどこかで必ず4、5時間停電になる
朝の時もあれば、夜ご飯時に突然真っ暗になることもしばしば
電気が当たり前にあった私の生活
初めてそのありがたさを知った
夜停電の時は寝るしかなく、そんな時は朝が来るのが心から楽しみだった

その2
ネパールの一般家庭ではトイレは不浄なものとされ、たいていは家の外の小屋にある
お世話になった家でも、うっそうとした庭(私はジャングルロードと呼んでいたが)を通った奥にあった
初めてそのトイレに案内された時・・・
トタンで仕切られた簡単なボットン便所、うす暗い中でクモが歩いているのを見て
“こんな怖いトイレ、夜は絶対一人でムリ!”
と思い、食事の時できるだけ水分をひかえた
ところがそんなことは全く無駄な努力
初ネパール食にあっさりお腹を壊し、その夜は3回ほど暗闇トイレに走った私(涙)
おかげでトイレには瞬間で慣れたのだった

その3
シャワーはインドと同じく、1回のお湯はバケツサイズのタンクのみ
いかにそれで洗い切るかが勝負
となると長い髪が問題
もし1年ここに住めたなら・・・
私は何の躊躇もなく坊主頭になったと思う(笑)

インドに大好きな“ことわざ”がある
物事は気の持ちようで楽しくも苦痛にもなるということ
インドは生と死のあからさまな国
『貧困と喧騒の国』だと感じる人にとっては、ひたすら苦痛で汚い国に見えると思う
『神々と信仰の国』だと思う人にとっては、人としての生き方に喜びすら感じるかもしれない
だから、『実は私はあなたそのものなんだよ』と、インドは言っている

ネパールも同じ
様々な生活や文化の違い
どう感じるかはまさしく今の私の等身大
『私そのもの』なのである

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